「ヤマメに学ぶブナ帯文化」
10.森の哲学
「闇夜のブナ林ミッドナイトウォーク」の舞台となる霧立越は、九州の屋根と呼ばれる背梁山地の尾根伝いの道である。かつて馬の背で物資を輸送した駄賃付けの道だ。標高千五百から千六百bの尾根を辿る部分が12`ほどあり、そこが霧立越のメインとなっている。
かって車社会以前の山地の民は尾根の近くで暮らしていた。冬は雪が降り、しかも根雪にならない尾根のブナ帯は一年中森の恵みを与えてくれる。湧き水は尾根にあり、尾根の近くには緩斜面が広がる。焼き畑や狩猟採集的な暮らしにはもっとも適した地形である。
また、野焼きに適している地形かどうかということも大切である。家の屋根は茅葺きの為、近くに茅場を作りやすいことが条件だ。茅場は毎年火を入れなければやがて自然に樹木が育ち消滅してしまう。野焼きの消火には火を使う。燃えてくる火は迎え火で消すのである。これは尾根を囲んだ地形でなければできない。
車社会になり道路は山地の谷を縫うようにして開設された。人々は尾根の暮らしから便利な道路沿いの谷間に降りてきた。このような経緯から尾根には昔の街道の跡がある。それが霧立越である。
霧立越では、さまざまな山産物を運び出していた。例えば「のり樽」がある。「のり樽」はノリウツギの木の皮を剥いで樽に詰めたもので和紙の材料として使用された。今、手漉きの和紙は南方産のトロロアオイと呼ばれる植物の根が一般的に使われているが、かってはノリウツギの皮がのりの材料として使われていたのだ。だから、ノリウツギと呼ぶのである。
このノリウツギの皮を剥ぐ人たちを「ノリ山さん」と呼んだ。森の仕事は「なになに山」と山がつく。谷間のクルミの木を伐採して下駄の材料として一足分の大きさに削って山から運び出すことを「下駄山」、木挽きノコで木を製材することを「木挽き山」、ハツリヨキと呼ぶ大きな斧で木を削ることを「ハツリ山」、桶の材料を作る人は「タルマル山」、立木を伐採することを「伐採山」、伐採の準備を先行して行うことを「サキ山」、材木を落として集めることを「コバ山」、馬などで木材を運ぶことを「ダシ山」、その他「ナバ山」、「タケ山」、「木環山」などと「なになに山」と山がつく。
森で仕事をする人たちを山師さんと呼んだ。広辞苑で山師は、鉱山師とか山木を売買する人とか、投機師、はては詐欺師などと書かれているが、もともとは「なになに山」の総称として森のプロフェッショナルを「山師」と呼んだことが語源ではないかと思う。
山師の世界には、山の神を崇め自然循環の中で暮らす思想がある。正、五、九月の各十六日には、山の神に御神酒を捧げて山に入らない。更にハツリ山は、ハツリ二十日と呼び二十日にも山に入るのはタブーとされている。山の神に感謝して山を鎮める意味もあると思う。
木を切る斧のことをヨキと呼ぶ。ヨキには片側に4本の線と裏側に3本の線が刻んである。山に道具を泊まらせる時は、この4本の線の入った側を地面に向けて置く。4本の線は樹木を育てる太陽・空気・土・水の四つの「気」を表しているという。だから四つの気すなわち「ヨキ」なのである。裏側の3本の線は、山の神に御神酒を捧げるミキ(神酒)に通じるとも、陰陽五行節の三合の理ともいわれる。
小さな道具ではあるが、森の作法から現代都市文明に欠けた自然への敬いや敬虔な祈りの生活作法を学ぶことができる。
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